FTMとFTXの狭間

~自分の生きる道~

自分からGIDを消した4年間

2014年2月に無事復職を果たし、そこから自分は自分の中からGIDを消しました。

というよりも、勝手に消えていった。というほうが正しいかもしれません。

会社に復職したのをきっかけに、カミングアウトする機会が増え、またパス度が高い影響もありカミングアウトしていない人からも「ゴメちゃんって女の子がすきなの?」「外出先のトイレってどっちに入るの?」と聞かれることが増え、それをきっかけにカミングアウト。という循環が生れ、カミングアウトする度に「でも、ゴメはゴメじゃん!!」と言われ、GIDのゴメというよりも、そもそもそれ含めてゴメ。という感覚らしく、自然と自分というキャラクターが社内に浸透しはじめていたので、何も考える必要がなくなったのです。

こう考えると「消えていった。」というより「浸透していった」んでしょう。


その時は、治療に関して深く考えてなかった(20代だったのでパス度高いとどうにでもできた。)ので、みんなが自分のことを理解してくれているならそれでいい。と思っていました。

また自分自身、自分がGIDであることを認め受け入れはじめていた時だったので、性別に関して聞かれれば包み隠さず話す。というスタイルが板につきはじめていました。

自分が性同一性障害であることを隠す意味が、その時の自分は分かっていませんでした。埋没している人の気持ちが分からなかったのです。

性同一性障害であることは、包み隠さすことができない真実で、なぜそれを隠して生きていくのか?それって、本当の意味でセクシャルマイノリティを自分自身が受け入れてないということではないのか?「普通の男。普通の女。として生きていきたい。」その意味が分かりませんでした。そういう言葉を聞く度に、「それって自分が一番、セクシャルマイノリティである自分を否定していることになるんじゃないの?」それって一番苦しいことだよ???と、頭の中に疑問符ばかりが並んでいました。

でも同時に、これは自分だから、自分が周りの人に恵まれているから言えることなんだとも思いました。

その瞬間、埋没を選ぶ人たちの気持ちが少し分かったような気がします。

マイノリティがマイノリティを排除することはしてはならない。せっかくマイノリティとして生まれてきたのならその痛み、悲しみ、を経験と知恵に変えて生きていかなければ、これほどもったいないことはない。

せっかくマイノリティとして生まれてきたんだ。だったらマイノリティでなければ経験できなかったこと。マイノリティでなければ考えなかったこと。マイノリティでなければできなかったこと、抱かなかった思い。それを、その全て汲み取って自分の人生の糧にしないなんて、マイノリティで生まれてきた意味がない。苦しいこと、辛いこと、ばかりに目がいきがちだが、どうせならポジティブに捉えようよ。

だからマイノリティであること、GIDであることは、自分の精神的構築にはかけがえのない一部分です。今でもこれからも。

復職への歩

2013年9月から、会社に行けなくなった。
その理由は、女として働くことに限界を感じたから。
制服(スカート)を着て、約9年間。
仲の良い、1、 2人にはカミングアウトしながらも、逆埋没しながら女として働いてきた9年間。自分で自分を追い込み、自分で自分の居場所を狭めながら生きてきたツケが回ってきたのでした。



心の性別にフタをして生活すると、何が起こるのか?

・女子の仲に入れられる。
・女子トークについていけない。他人と距離をおく。
・人間関係が稀薄になる。
・相手が何もしていないのに、勝手に人間不審になる。
・人間関係の拒絶。相手も自然と離れていく。
・話したくない、外に出たくない。何もしたくない。
・会社に行きたくない。廃人化する。
・会社に行かず、休んでいる自分自身を責め続ける。
・人間のクズ。ゴミ。だと、毎日のように自分で自分に呪文をかける。



という、悪循環に陥りました。
まあ、自分で蒔いた種なのですが、その時の自分は全て「言い訳」して、「周りのせい」にして、「逃げ」ていました。人間誰しも自分自身にはあまくできています。自分もその一人に過ぎませんでした。
自分自身と向き合っていそうで、向き合っていなかったのです。


こんな、ドン底の状態の中から、
どうして復職を果たし、在職トランスまでに至ったのか・・・?

自分でも不思議ですが、
ドン底な状態の中でも、どこかで希望を持っていた。つまり堕ちるとこまで堕ちてしまうとそれ以上堕ちることがないので、ちょっとしたことが希望に見えたりするのです。
そして、這い上がれた要因の一番に自分の中に『自殺』という二文字はなかったから。です。

(自殺に関しては、自分の中で自分と対峙し高校時代~20代前半にクリアしていた問題だったので、『自殺=逃げ』『自殺=最愛の人を悲しませる最も自分勝手な行為』と、自負していたので。)


そして、そのちょっとした希望が岐阜大学病院の精神科医の先生との出会いであったり、周りの支えであったり、一番はカウンセリングをしたことによって自分が何者なのかハッキリとしたからです。

ここまでこれば、後は上司を通して会社側にカミングアウトするだけ。カミングアウトに関してドキドキした覚えはありません。

本当に淡々と、事実を述べました。
そして、復職する上でのお願い事項を、これもまた淡々と、丁寧に話した覚えがあります。

・男性と同じ作業服の支給。
・今後、GID治療を行うかもしれない。

この2つです。
すると、会社側の対応は驚くほどスピーディーで、至急作業服を要因してくださり、作業内容も女性事務員の仕事から、男性作業員の作業内容へ切り替えしてくださり、資格取得の優遇(女性では前例がない。てか男だけど。笑っ)、昇進(これは復職3年後。これまた女性では前例がない。だから男だけど。笑っ)と、柔軟かつ迅速な対応をしてくださいました。

後は、「お前がやりたいようにやれ!」そんな土台づくりをしていただき、それに呼応するかのようにやりたいようにやらせてもらいました。

復職時、上司にカミングアウトしただけで全員にカミングアウトしたわけではなかったが、堂々と男性作業服を着て会社に行きました。ドキドキしなかったわけではないが、もうここまできたら人間開き直るモノです。何を思われようが、何を言われようが、堂々としていました。(作業服に関しては)
そして、それ以上に力を注いだのは失ってしまった同僚との信頼関係構築です。まずは、自分から話しかける。どんだけ冷たくあしらわれてもくらいつく。周りの方が年上ばかりだったのでとにかくリスペクトしながら、自分の意見も伝える。とにかく些細なことでも、『報告する。相談する。連絡する。』そうして、信頼、信用を取り戻すべくコミュニケーションをとりつづけました。
すると、相手のことも分かる。相手も自分のことを分かってくれる。それがカミングアウトに繋がり、なおさら固い絆ができる。


そうして休職を乗り越え、在職トランスとして治療を行うまでの土台づくりを4年かけて行うことができました。


休職前と、今とで何が変わったか?
それは、やはり『コミュニケーション』。
「まずは相手を知ること。それが自ずと自分を知ってもらうことに繋がっていた。」ただそれだけ。

「自分、自分、自分」という考えから、純粋に「相手を知る。相手を笑顔にさせる。場を和ませる。」という考えに方向転換したことに寄って、心に余裕が生れ、自分に対する周りの反応も変わってきました。

自分が変わったことによって周りの反応が変わったのは事実ですが、それよりも、何よりも、やはり周りが根っからの良い人ばかり方だった。恵まれていたんだと思います。

カウンセリングとは

ここからは、カウンセリングを受けた半年間を少し早足で駆けていきたいと思います。(本当に足早です。笑っ)



2013年10月
初診。
・いつから身体的性別に違和感があったのか?
・小学生、中学生、高校生、社会人での性別違和に関する苦痛
・恋愛対象
・会社に行けなくなった理由


2013年11月
・初診で伝えたことを詳しく説明
・会社に復帰するために必要なこと


2013年12月
・治療をどこまで望んでいるのか?


2013年12月
GID脳画像研究に協力
(心理テスト、手のコピー(指の長さを計る)、脳画像)

2014年1月
・持続的性別違和の確認

2014年2月
・持続的性別違和の確認
・「診断書出せますよ。」と言われる。



簡単にカウンセリングの内容を書くと上記の通りです。
この過程で、自分の中で心の整理もつき2014年3月から会社に復帰するまで復活しました。そして、会社復帰後は、失った同僚への信頼を取り戻すべく病院に行くための休みを取るのを惜しんで働きました。そのため、診断書取得まではこぎつけることができず。カウンセリングでストップ状態です。(とりあえず、この時はカウンセリング以上の治療までは考えていなかった)この中途半端さも、また自分らしくて笑えます。

捨てる神あれば、拾う神あり。

2013年9月中旬。
はじめてのメンタルクリニックで玉砕状態で帰ってきた自分は塞ぎ込みます。

塞ぎ込みながらも、諦めていませんでした。

近くに性同一性障害専門の精神科医がいないか?
インターネットでリサーチしまくったのです。
廃人のようで、廃人ではない。人って堕ちるとこまで堕ちたら、後は上がって行くものなんだなぁー。と今となれば、凄く客観的に、楽観的に見えます。笑っ

あの時の自分の諦めの悪さは、回復傾向でもあり、あれが自分の底力と言うモノだったのかもしれません。


そして、その諦めの悪さが、ひとつの希望を見出だします。そう自分の諦めの悪さ、希望を追い求めた結果、希望の風が吹いた瞬間でした。


そこで見つけたのは、岐阜大学病院の精神科医が『GIDの脳画像研究』の参加者を募るHPでした。
「これだっ!!」と思い、性別違和のこと、今までのことを、この精神科医の先生のメールアドレスに直接メールし、診察の予約までこぎ着けることができました。
先生の対応も凄く丁寧で、あたたかく優しい雰囲気が滲み出ていました。

また、大学病院特有のシステムなのか、当日は先生の診察に入る前に学生、研修医等の予診があること。また、先生の診察に学生、研修医等も同席すること。それに関する理解と協力を促すメールも事前に送られてきた。

ある程度の予備知識が入っていると、安心して診察の心準備ができる。と感じました。


捨てる神あれば、拾う神あり。
この神と出会ったのは、2013年10月上旬のこと。

2013年休職からのスタート

高校卒業して2004年。
とある企業に、女性事務員として就職。

自分の性別違和に気づきながらも、
妥協、諦めの人生を送っていた。
制服(スカート)を着て9年・・・。

2013年9月。
とうとう、心が折れた。

会社に行けない。


精神的に追い込まれ・・・
というよりも、自分自身で精神的に追い込んだ結果、このままでは廃人になる。(というか、この時点で、既に廃人やったような気もしますが。笑っ)

と、すがったのが近所のメンタルクリニック


自分が何者なのかハッキリさせよう!
性同一性障害の診断を受けよう!
そうすれば、自分の中で何か変化があるかもしれない。
モヤモヤ考えて、自分の中でとどめておくのはやめよう。
性同一性障害の診断書が出たからといって、何も変わらないかも知れない。
だけも、病院に行く。ハッキリさせる。少し環境を変えるだけで、この窮地から脱出できるかもしれない。
小さな半歩かもしれないけど、動かず廃人のまま死んだ状態で生きていくよりも、少しづつでももがきながら脱出する術を見つけよう。
そう、今思えばあの時の自分は、まるでサナギの中の幼虫のように、硬い殻の中で、少しずつ、少しずつ、変体しようともがいたのでした。

そんな面持ちで、はじめてメンタルクリニックの扉を叩いたのですが・・・


はじめての精神科。
ピリッとした雰囲気。
ただでさえ人見知りで無口な自分。
そして廃人になってる自分。

どう話せばいいのか分からず、
やっとの思いで出てきたのが、

「スカートを着るのが嫌で、会社にいけなくなった。」

ポツリと一言だけ。


それを聞いた先生に、

「それは、あなたワガママだね。」

と言われ、廃人だった自分はその一言で、既にK.O.。

その後、何を言われたかも覚えてないし、何を言ったかも覚えていない。ただ、より一層悲壮感を抱えて帰ってきたことだけは、今でも鮮明に覚えている。


残暑が厳しい
2013年9月中旬のできごとでした。

はじめまして。~15年前の自分へ~

はじめまして。
そして、ご無沙汰しております。

ブログの名前の通り『FTMとFTXの狭間で』生きているGOMEと申します。

自分が初めてブログというものをはじめたのは、もう15年も前のことになります。

当初の僕はクヨクヨ、ウジウジ。
なんでもかんでも人のせいにしてました。

今、思えば「なんて勿体ないことをしていたんだ!!」とも思えるくらい、根暗な高校時代と20代前半を過ごしていました。
自分からは、何も動かず、何も言わず。
でも、そんな自分がいたから『今の自分』があるのだと確信を持って言えます。
「成長した。」というよりも、「経験を積んだ。」という方が正しい表現の仕方だと思います。




~15年前のウジウジの自分へ。~

ウジウジ、クヨクヨしてもいい。
悩んで悩んで悩みまくって、堕ちるとこまで堕ちて来い!!
その時は、堂々巡りだと思っていることも、必ずお前の力に変わっていく。
考えることを恐れるな。思考を止めるな。そうすれば必ず道は開けてくる。

人を羨むな。人を変えたければ、自分が変われ。自分が変われば、人も環境も自ずと変わってくる。自分の環境は自分で作れ!!お前には、それができる力がある。大丈夫、みんな思っている以上に寛大で、寛容だよ。後は、お前の勇気次第。
その一歩を踏み出してしまえば、後は風が背中を押してくれる。


お前の勇気の一歩のおかげで、やっとやっとここまで辿り着いたよ。遅咲きだろうが、他人がなんと言おうが、自分はこのタイミングで良かったと思う。
そして、これからも周りに感化されることなく、自分自身と対話しながら、自分自身とこの先のことを決めていく。流れに流されることは絶対にしない。ゆっくりでもいいから確実に、自分の決めたことに覚悟と確信を持って前に進んで行くよ。

今までありがとう。そして、これからもよろしく。


~15年後胸オペを済ませた自分より~