FTMとFTXの狭間

~自分の生きる道~

復職への歩

2013年9月から、会社に行けなくなった。
その理由は、女として働くことに限界を感じたから。
制服(スカート)を着て、約9年間。
仲の良い、1、 2人にはカミングアウトしながらも、逆埋没しながら女として働いてきた9年間。自分で自分を追い込み、自分で自分の居場所を狭めながら生きてきたツケが回ってきたのでした。



心の性別にフタをして生活すると、何が起こるのか?

・女子の仲に入れられる。
・女子トークについていけない。他人と距離をおく。
・人間関係が稀薄になる。
・相手が何もしていないのに、勝手に人間不審になる。
・人間関係の拒絶。相手も自然と離れていく。
・話したくない、外に出たくない。何もしたくない。
・会社に行きたくない。廃人化する。
・会社に行かず、休んでいる自分自身を責め続ける。
・人間のクズ。ゴミ。だと、毎日のように自分で自分に呪文をかける。



という、悪循環に陥りました。
まあ、自分で蒔いた種なのですが、その時の自分は全て「言い訳」して、「周りのせい」にして、「逃げ」ていました。人間誰しも自分自身にはあまくできています。自分もその一人に過ぎませんでした。
自分自身と向き合っていそうで、向き合っていなかったのです。


こんな、ドン底の状態の中から、
どうして復職を果たし、在職トランスまでに至ったのか・・・?

自分でも不思議ですが、
ドン底な状態の中でも、どこかで希望を持っていた。つまり堕ちるとこまで堕ちてしまうとそれ以上堕ちることがないので、ちょっとしたことが希望に見えたりするのです。
そして、這い上がれた要因の一番に自分の中に『自殺』という二文字はなかったから。です。

(自殺に関しては、自分の中で自分と対峙し高校時代~20代前半にクリアしていた問題だったので、『自殺=逃げ』『自殺=最愛の人を悲しませる最も自分勝手な行為』と、自負していたので。)


そして、そのちょっとした希望が岐阜大学病院の精神科医の先生との出会いであったり、周りの支えであったり、一番はカウンセリングをしたことによって自分が何者なのかハッキリとしたからです。

ここまでこれば、後は上司を通して会社側にカミングアウトするだけ。カミングアウトに関してドキドキした覚えはありません。

本当に淡々と、事実を述べました。
そして、復職する上でのお願い事項を、これもまた淡々と、丁寧に話した覚えがあります。

・男性と同じ作業服の支給。
・今後、GID治療を行うかもしれない。

この2つです。
すると、会社側の対応は驚くほどスピーディーで、至急作業服を要因してくださり、作業内容も女性事務員の仕事から、男性作業員の作業内容へ切り替えしてくださり、資格取得の優遇(女性では前例がない。てか男だけど。笑っ)、昇進(これは復職3年後。これまた女性では前例がない。だから男だけど。笑っ)と、柔軟かつ迅速な対応をしてくださいました。

後は、「お前がやりたいようにやれ!」そんな土台づくりをしていただき、それに呼応するかのようにやりたいようにやらせてもらいました。

復職時、上司にカミングアウトしただけで全員にカミングアウトしたわけではなかったが、堂々と男性作業服を着て会社に行きました。ドキドキしなかったわけではないが、もうここまできたら人間開き直るモノです。何を思われようが、何を言われようが、堂々としていました。(作業服に関しては)
そして、それ以上に力を注いだのは失ってしまった同僚との信頼関係構築です。まずは、自分から話しかける。どんだけ冷たくあしらわれてもくらいつく。周りの方が年上ばかりだったのでとにかくリスペクトしながら、自分の意見も伝える。とにかく些細なことでも、『報告する。相談する。連絡する。』そうして、信頼、信用を取り戻すべくコミュニケーションをとりつづけました。
すると、相手のことも分かる。相手も自分のことを分かってくれる。それがカミングアウトに繋がり、なおさら固い絆ができる。


そうして休職を乗り越え、在職トランスとして治療を行うまでの土台づくりを4年かけて行うことができました。


休職前と、今とで何が変わったか?
それは、やはり『コミュニケーション』。
「まずは相手を知ること。それが自ずと自分を知ってもらうことに繋がっていた。」ただそれだけ。

「自分、自分、自分」という考えから、純粋に「相手を知る。相手を笑顔にさせる。場を和ませる。」という考えに方向転換したことに寄って、心に余裕が生れ、自分に対する周りの反応も変わってきました。

自分が変わったことによって周りの反応が変わったのは事実ですが、それよりも、何よりも、やはり周りが根っからの良い人ばかり方だった。恵まれていたんだと思います。